先輩就農者体験談

ぶどう農家(H24年就農/津山市)
中西 啓 さん

航海士からぶどう農家へ。地に足がついた暮らし

津山市でぶどうを栽培する中西啓(ひろむ)さん(41歳)は元・航海士と珍しい経歴の持ち主。船から降りて、地に足をつける仕事を目指した中西さん、「自然と向き合う仕事」という意味では航海士も農業も同じだったといいます。しかしまったく異なる異業種へ飛び込んだ物語には、岡山だからこそできた逸話が満載です。

一等航海士が海から陸へ。違う生き方をしたくなった。

▲陸に降りた航海士は、岡山でとびきり美味しいぶどうを育てている

中西さんは大阪で生まれ育ち、船乗りを志して東京商船大学(現・東京海洋大学)で学び航海士になった異色の経歴の持ち主。卒業後は石油関連会社の航海士として、主な仕事はシンガポール沖のマラッカ海峡を通って中東方面へ航海すること。一往復50日以上かかる大航海を11年間続けていました。年間のほとんどが海上での生活で、まさに「地に足のついてない」仕事だったといいます。

「ほとんど日本にいない生活で、年がら年中船の上。休暇も一番忙しいときで日本に2週間しかいないときもありました。それ以外は船上か外国か、そんな生活に疲れてしまいました」と中西さんは当時を振り返ります。

永航海士になって10年過ぎた頃、また違う生きかたを模索しはじめた中西さん。
「単純に飽きたんでしょうね(笑)。一等航海士になって、あとは船長になる、という先が見えてしまったときに、あまりやりがいを感じられなくなりました」。
中西さんの中では漠然と、今まで海と向き合ってきたように自然と向き合う現場で立ち回る仕事がしたい。その中の選択肢として「農業」が浮かび上がってきました。

人で選んだ就農地。楽しそうだったことが一番だった

▲中西さんが移住して農業をはじめた津山市西部。のどかな農村地帯だ。

父が仕事の関係で倉敷に住んでいたこともあり、中西さん自身が休暇で倉敷を訪れ、岡山県内で農業ができるところを探しはじめます。
「次の仕事を模索していくなかで、休みで岡山を訪れた際、友人が岡山県内のぶどう園を回るバスツアーに参加してみたら?とすすめてくれて、行ってみました」。
そのツアーで、中西さんは津山市の田中農園の社長さんとの運命の出会いを果たします。

「津山市の田中農園の社長さんと話をして、農業って面白そうだなと感じたのが一歩を踏み出すきっかけになったと思います」と中西さん。「まず、すごく羽振りが良さそうだった(笑)。もしかしたら、農業で食べていけるのかなと思えたのが大きいです」

田中農園さんと出会うまで中西さん自身、農業で食べていくのは厳しいと考えていました。主に栽培する品目にぶどうを選んだのも、ぶどうが一番いいイメージがあったから、と中西さん。新規就農者でもやっていけそうだという目論見がありました。農業は趣味ではなく仕事です。生活のことを考えることも大切です。

しかし、ぶどうの産地としてはあまり大きくない現在の土地に移住・就農を決めたのは、師匠となる田中農園さんがいたからだといいます。
「やはり"人"が大事ですよね。他の土地や有名なぶどうの産地も見て回りましたがここが一番楽しそうな印象でした。田中農園はぶどうが中心ではありませんが、農業経営や機械の扱い方など、農業の基礎を学びたいと思いました」
こうして2010年4月から、正式に新規就農を目指し研修に入った中西さん。師匠はもちろん田中農園さんです。

「農業の「楽しさ」を田中農園で学びました。師匠に学んで一番心に残ったことは、ひととの繋がりがないと農業は絶対にやっていけないということ。自分の時間を割いてでも、ひととの繋がりを大事にしなさいといわれました。航海士のときは、ほぼ同じメンバーでチームでしたし、僕は海外へいく船に乗っていたので、日本人自体とあまりコミュニケーションを取らなかったんです。なので、ここで日本人と付き合っていくのに最初は苦労しました。日本人のなかで働くことがなかったので…」

農業をやっていく上で大切なことは師匠から、ぶどうの栽培技術は農業普及指導センター等の指導機関からアドバイスをもらい、中西さんは一歩ずつ夢にむかって邁進します。

ひととひとのつながりを大切にして農業を営む

▲就農して今年で6年。芳醇に実るぶどう畑に育ちつつある。

研修は1年ほどで終え、独立に向けての準備をはじめた中西さん。もともと貯金していた分とぶどう棚を立てる資金を借り入れて就農したといいます。

「ぶどうの場合は、できるまでに時間がかかるので、初収穫を待つ間の生活費が一番大きい。ぶどうの樹を1からつくる場合、4年間は収入は見込めません。僕は師匠が野菜中心の農家だったので、ぶどうと並行して野菜もつくっています」と新規就農のハードルを包み隠すことなく話してくださいました。

急いで就農したのは早く自分で始めたかったのと、農地確保のタイミングがあったからだと言います。

「最初の畑は指導機関の方の紹介でみつけました。その他の畑は、貸してくださるひとを探して見つけました。よそ者の僕は、土地をお借りしないとここで農業ができません。師匠に習ったつながりのなかで良い方々からお借りすることができました。今は地主さん4人から各々借りています」

今年で就農6年目。ここに就農して一番よかったことは農業が「楽しい」こと。そして農業のどこに楽しさを感じているのかと伺うと、即座に「自由」と中西さん「自分で色々決められることがいいです。自営業ですからね。自分の予定を自分で決められるのが嬉しいです」

就農してから、岡山での暮らしについて尋ねると「実は僕、田舎が苦手なんです」と意外なコメントが。
「大阪で生まれ育ちましたし、大学で関東に出てからほぼ都会暮らしです。歩ける距離にスーパーとホームセンターがないところに住んだことがなかったので、ない暮らしが想像できませんでした。町に近いほうが暮らしのイメージがしやすかった。ここは津山市街にも出やすいですし、暮らしやすいのも気に入っています」

暮らしと仕事が密接に関わる農業だからこそ、農家が快適に暮らす場所も重要です。

「研修中は津山市街のアパートに住んで畑に通っていました。就農するにあたって、畑の近くに物件を探す際、人づてに物件とつなげてもらいました。周りのひとにそれとなく「家を探しています。買います」と伝えると「あるよ」って言ってくれるんです」と中西さん。

津山に来て新しい家族も増えた中西さん。海から陸にあがった航海士は、ひととひととのつながりを大切にしながら、今日も、地に足をつけて、ものづくりに励んでいます。

(TEXT:ココホレジャパン)

就農までのポイント

・岡山県(津山市)を就農地に選んだ理由
友人の紹介で産地見学バスツアーに参加し、津山市の受け入れ指導農家と出会った。他の産地も見学したが、住環境などを比較して津山市での就農を決意した。

・ 農地の確保について
関係機関から空き農地の紹介を受け、最初の農地を借りた。その後は、周辺の方の紹介を受けて農地を借り、規模を拡大した。
現在は130aの面積でブドウを中心にサトイモ、ブロッコリーなどを栽培している。

・ 資金の確保について
自己資金を中心に、ぶどう棚については制度資金を活用した。

・ 技術の習得について
農業普及指導センター職員の指導やわからないことは周囲の農家に尋ねるなどして技術を習得した。

・ 住居の確保について
研修を受けている期間は、津山市内のアパートを借りていたが、現在はより農地に近い中古住宅を購入し入居している。

・ 相談相手は
ある程度就農希望地が決まってからは農業普及指導センター職員や地元の農家の方に相談した。

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